SF作家、星新一の名言集

・全人類がアメリカなみの生活になるのは絵に描いたモチということらしい。
・近い将来、私たちは注意という怪物の重圧に押しつぶされて、滅亡するにちがいない。
・無形のものを軽視する国民性をいいことに、注意というていさいのいい名でなにもかも私たちにしわ寄せされ、そのおけげで繁栄の形になっているのかもしれない。
・戦後の教育は民主的な社会のマナーを身につけることに重点が置かれたそうだが、昨今の大学生を見ると首をかしげざるをえない。
・圧力団体が横暴だと非難はするが、その一員となれば私だってどう変化するかなんともいえない。
・いままでの書類や帳簿の山といった形のほうが異常だったのかもしれない。テープの記録は瞬時に取り出せる。紛失でうやむやになることもない。そして正確となれば、個人の尊重ともいえるわけである。
・他人をだしぬくのが都会生活におけるなんともいえぬ快楽なのだ。
・複雑な因子のからみあった都市公害は、勇ましさが不足なのだ。
・公害追放を期待して投票したりしては、自分の意識が低いような気がして恥ずかしい。
・だれかに怒りをぶつけたいが、ためらいをおぼえる。あなたはその原因に気がつく。自分にもその責任の一端があるのだ。
・被害者かもしれないが、加害者でもあるといううしろめたさ。加害者かもしれないが、立派な被害者であるといういらただしさ。
・現代は情報の氾濫時代だそうだが、われわれはいっこうにアップアップという気分にはならない。情報は大量なのだろうが、処理され規格化されているからである。
・規格化の情報が、規格化された思考回路を通り抜けていくだけ。
・コンピューターによる整理はもちろん必要だが、整理されすぎるのも心配である。
・人生の同意語でもあった、さまざまな雑事雑念。それらから開放された精神エネルギーをどう私たちが使うかである。
・知識は情報であり、情報は自由に流通すべき商品である。正しく商品として評価し、価値をあるがままに見つめなおす必要が、いま迫られているのではないかと思う。
・学歴を問題にするのが変なので、要は本人の持っている知識や能力の点である。学問を自由化してしまえば、このような議論は消えてしまうにちがいない。
・保守的な法律と技術革新の差は、急速に開きつつある。
・人類の生活力は驚くべきものである。恐れとまどいつつも、いちのまにかとりお押さえ、包み込み、しかるべき箇所におさめてしまう。
・女性化傾向がひろまりつつあるのだ。利益とセンチメンタリズムだけで動いている。
・現在の私たちのまわりには、わずらわしい人間関係がべとべととつきまとっている。未来になったからといって、それが消えるという保証はない。
・欧米のイミテイションのよせ集めばかりの国になったら、日本の魅力はまったくなくなる。
・ロボットの普及した未来においては、世はきわめて平穏で、人間はまるで動かなくなるにちがいない。
・無料時代に閉鎖空間の必要はない。
・世にナワバリの存在を非難する人は多いが「では、まずご自分のナワバリを撤廃なさっては」と言われると、非常にいやな表情になるのが一般的である。
・なによりもまず自分自身の個性をはっきりすべきで、表情はあとからついてくる。
・進歩がもたつき生活が不幸なのは、笑いの押さえられた国のほうである。
・低浴は洗練に変化する可能性を持っている。みなが笑うようになったのは精神的な余裕のためであり、その余裕こそが知的発展のささえなのである。
・考えてみれば、現在の私たち、金銭に支配され、テレビに支配され、酒に支配され、上役に支配され、妻子に支配され、やがてはコンピューターに支配されようとしている。猿に支配されたからどうだというのだ。
・国家のあることで、どんなに大きく不合理なムダがなされていることか。科学技術のめざましい発展のまえに、国家なるものはすでに消滅しているべきなのかもしれない。
・大嵐は吹けばオケ屋がもうかるという江戸小話があるが、われわれは形を変えたそれをやっているような気がしてならない。
・全人類の向上という漠然とした目標だけで、個人が競争心や意欲を燃やして本当に努力するのだろうか。そうあってほしいとはわかりきっているが、現実はそうなるのだろうか。
・平和という妖怪をどう取り扱うかが、二一世紀の人類の大きな課題となりそうである。やりそこなったら、もはやどうしようもない。
・報道からの黙殺ぐらい悲しいことはないものな。
・人間とは大自然のなぞの一端をわずかに模索している存在だと感じている人は少ないのではないだろうか。
・人間社会そのものが、なぞの大海にただようものであろう。
・都市の未来のほうがはるかにこわい。ことが複雑であるうえに、一時まにあわせのムードのなかで、正気とも狂気ともきめようがないまま、じわじわと深みに落ち込んでゆくからである。
・当人たちに罪はない。大都会というごたごたした環境のせいである。
・そして未来を予測する際に最もやっかいな点でもあるのだが、それは将来においてどんな画期的な発明が出現するか、だれにも手のつけようがないという問題である。
・これは古代ローマでは王様だけの楽しみだったが、いまや消費者こそ王様、つまりみながそうなのだ。
・本当はこっちのほうが正常なのだが、スピードこそ進歩なりと信じる狂人の群れにはたちうちできず、いたしかたない。
・面白いことはなにひとつなくなる。人間は食って寝ていればいいし、それ以外の行動は許されない。
・時間的にへだった相手、つまり子孫や未来人に対して恥ずかしい行為は、だれもあまり指摘しない。
・土地の収容はわずかな面積でも大さわぎし、大金をえることができるが、十年裁判や誤審の補償については、ほとんど騒がれない現状では、時間の価値はゼロに近いらしい。
・人間は本来それほどヒューマンではないことを直視し、その上に社会を築こうとするほうが、かえって賢明なような気がしてならない。
・「米中和解などありえないさ」と多くの人は笑うのかも知れない。だとしたら、世の中にたちこめる平和への声や運動はどういうことになるのだろう。
・危機という急所のはっきりとしたものとの共存のほうが、はるかに容易かもしれない。
・しかし、なるべく完全な形に近づけるのに努めたほうがいい。それは他人を尊重することと、自分の立場を知りさえすれば、そうむずかしいことではないはずである。
・社会奉仕の語に犠牲的な悲壮感といった妙なムードがともなううちは、私たちに日常に不自然なひずみが存在しているといえそうである。


星新一、きまぐれ博物誌より)
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